プロフィール
失敗と経験を、
自分の資産と収益を生む仕組みに変えた会社員
はじめまして、マスといいます。
本業をやりながら、副業会社員として発信と資産形成に取り組んできました。
ずっとテーマにしてきたのは、ふわふわとなんとなく副業をするのではなく、人生を楽しく豊かにする「自分経済圏」という独自の仕組みづくり。
具体的には、
- 副業月収が本業を超え、最大月収300万円・利益率はおよそ90%
- ブログはASPのマスターレベル(月50万円以上条件)を達成
- X(旧Twitter)は3.3万フォロワー超(※時点の数値。変動したら更新)
- スクール・コミュニティで、同じ悩みを持つ会社員の方への伴走もしています
いまはパソコン1台と「自分経済圏の仕組み」で動いています。
自分の失敗と経験を言葉にして、商品と発信につなげる。ただそれだけです。
…と、数字の話はここまでにしますね。
いまの立ち位置
かつては、海外起業の失敗、ブラック企業、副業迷子、仮想通貨で100万円の損失。失敗のオンパレードでした。
それでもいまがあるのは、その失敗ひとつひとつを言語化して、仕組みに変えてきたからだと思っています。
理念(要約)
普通の会社員でも、ちょっとコツをつかめば人生の選択肢は確実に広がります。
僕はずっと、こう思っています。
辛い体験こそ、最高の資産だ。
仮想通貨で100万円を溶かしたことも、ブラック企業で心を病みかけたことも、海外起業の失敗も——全部、今につながる「伏線」でした。
後悔は伏線になる。それが僕の実感です。
派手な成功談より泥臭い積み上げを伝えたい。
焦らせず、誠実に。
体験と感情を、長く効く資産に変えていく——そういう発信を、ずっとしていきたいと思っています。
こんな話をすると「もともとセンスがあったんでしょ?」「自分には関係ない話だな」って思う人もいると思います。
わかります。数年前の僕も、そう思ってたから。
でも、はっきり言わせてください。
僕は特別じゃない。
30〜40代の、ごく普通の会社員です。
家族がいて、本業があって、「このままでいいのか」という不安を抱えながら生きてきた。それが全てのスタート地点でした。
正しい方向で積み上げれば、仕組みは誰にでも作れます。この先のストーリーで、そのことを伝えられればと思っています。
最後まで付き合ってもらえると嬉しいです。
実績(数字のあたり)
まずは、どんな人かを知ってもらう前に、いまの積み上げの輪郭だけ。本業は会社員のまま、副業とコンテンツの仕組みで、ここまで結果を出してきました。以下は時点のスクショです(変動する数字は更新します)。
副業の月収は本業を上回る水準まで伸ばしています。最大月収は300万円、かつ利益率は約90%前後(個人で仕組み化できるビジネスモデルであるため、原価比率が低いのが特徴です)。
※個人情報・口座名義などは公開前にマスクしてください。
アフィリエイトサービスでは、月50万円以上の成績を条件とする「マスターレベル」に到達した時点の記録です。
X(旧Twitter)では、3.3万フォロワーの方に読んでいただいています(※フォロワー数は日々変動します)。
年表(ざっくり一覧)
先に、どんな生き方をしてきて今に至ったのか、ざっくり一覧できるように年表にしました。
| 年齢 | 出来事 |
|---|---|
| 0歳 | 福岡県福岡市で生まれる |
| 8歳 | サッカーを始める |
| 16歳 | アメリカ・渡米を意識し始める |
| 17歳 | 渡米 |
| 18歳 | アメリカの大学に入学 |
| 24歳 | 卒業、就職。在学中のビジネスで副業 |
| 26歳 | 米国で起業する |
| 30歳 | 起業に失敗し、どん底に落ちる |
| 31歳 | 帰国。ブラック企業に入社。戦略的転職を開始 |
| 36歳 | 結婚。娘が生まれる |
| 39歳 | 仮想通貨で100万円の損失 |
| 40歳 | お金の勉強と副業ブログを開始 |
| 42歳 | 副業ブログ・プログラミングが挫折。再度どん底 |
| 43歳 | Xで発信活動を開始 |
| 44歳 | ブログで初収益を記録 |
| 45歳 | 副業の月収が100万円を超える |
| 47歳 | スクールを立ち上げる |
ざっくりですが、こんな感じです。
かつての僕は、戦略もなく勢いだけで挑んでは玉砕し、失敗と損失を繰り返し、出口の見えないトンネルをひとりで歩いていました。
仮想通貨で100万円を溶かした夜のことは、今でも覚えています。悔しいとか悲しいより、「ちゃんと学ぼう」と初めて素直に思えた夜でした。あの体験が、僕の転換点です。
コンテンツと「仕組み」に出会い、積み上げる方向を変えた時、道はちゃんと開けていきました。
過去の苦い経験は、あなたの貴重な資産になる。
そのことを、身をもって実感しています。
プロローグ:革命前夜
今でこそ、X(旧Twitter)で3.3万人以上の方にフォローしていただき、自分の講座を持ち、本業を超える収益を上げながら、素晴らしい仲間に囲まれて「遊ぶように働く」日々を送っています。
「マスさんはすごいですね」
「もともとセンスがあったんでしょ?」
そう言われることもあります。
でも、はっきり言わせてください。
それは大きな誤解です。
僕の過去は、華麗なサクセスストーリーとは程遠いものでした。むしろ、「失敗のオンパレード」と言ってもいい。
戦略もなく勢いだけでチャレンジしては玉砕し、
労働集約型のビジネスで疲弊し、
仮想通貨で100万円を溶かし、
ブラック企業の深夜残業で心を病みかけた…。
それが、僕の真実、副業キャリアの原点です。
今日お話しするのは、そんなズタボロだった僕が、どうやって泥沼から這い上がり、人生に「革命」を起こすに至ったか。その全記録です。
これは単なる自分語りではありません。
今、副業で成果が出ずに悩んでいるあなた。
「頑張っているのに報われない」と感じているあなた。
ノウハウコレクターになってしまっているあなた。
そんなあなたに、「成功法則は、他人の教科書ではなく、自分の失敗と積み上げの中にこそある」——ということを伝えたくて、今回自分の副業体験談を書くことにしました。
このストーリーが、少しでもあなたの未来に役立つガイドになればと願っております。
若さと勘違いの暴走 —— 海外起業の挫折
根拠なき自信と、インターネットの黎明期
時計の針を20年ほど戻させてください。
20代の頃の僕は、「自分なら何でもできる」という根拠のない自信に満ち溢れていました。
戦略なんてあるようにみえてないものも同然でした。
「これからは英語だ! 海外だ!」という単純な思いつきと情熱だけで、アメリカへと飛び立ちました。
当時は90年代後半。ちょうどインターネットが爆発的に普及し始めた頃です。
Amazonが本を売り始め、後にGAFAMと呼ばれる巨人たちが産声を上げた、まさに「ネットバブル」の時代。
現地の大学に通いながら、僕はその熱狂を肌で感じていました。
「この波に乗れば、何かデカいことができるんじゃないか?」
留学生はアルバイトが禁止されていたため、僕はインターネットを使ったビジネスに目をつけました。
当時はまだ回線も遅く、怪しいビジネスだらけでしたが…いわゆるこれが、最初の僕の「副業」でした。
今でいうクラウドソーシングサイトのような掲示板(Craigslistという米国では当時超有名サイト)を使い、現地の中小企業向けにオンラインマーケティングやコンサルのような真似事を始めたんです。
「仕組み」なきビジネスの末路
最初は順調でした。
大学も最低限の単位を取り卒業することができ、
氷河期ながらもなんとか米国の著作権関連の企業に就職することができました。
そこから、リアルな「副業」として、 デザインを独学で学び、ウェブ制作やマーケコンサルを受注するようになり、 時代が追い風になり、仕事は舞い込みました。
ある時期には「起業コミュニティ」も立ち上げ、
周りからは「起業なんてすごい」「行動力がある」と持て囃されました。
僕も完全に調子に乗っていました。
しかし、ビジネスの現実は甘くありませんでした。
僕がやっていたのは、典型的な 「労働集約型」 のビジネスだったんです。
クライアントが増えれば増えるほど、僕の時間はなくなっていく。
僕が手を動かさなければ、売上は1円も立たない。
休めば収入が止まる。
「あれ? 俺、自由になりたくて起業したのに、なんでこんなに不自由なの?」
次第に資金繰りは悪化し、精神的にも追い詰められていきました。
仕組みを持たないビジネスは、ただの「労働」でしかない。
情熱だけで飯は食えない。
その残酷な事実に気づいた時には、もう手遅れでした。
約30社の取引先をすべて譲渡および契約終了とし、事業を畳み、僕は失意のうちに日本へ帰国することになりました。
それが、僕の最初の、そして最大の挫折でした。
暗黒の会社員時代と、深夜11時45分の虚無
30歳の新社会人、ブラック企業へ
日本に帰ってきた僕は、30歳にして「新社会人」として再スタートを切りました。
もちろん、日本の就活ルールなんて知りません。
ただエージェントに言われるがまま、「ここなら雇ってくれる」と紹介された会社に入社しました。
少なくともあまりにも低給の会社は見分けられましたが、(それはそれで酷いと思いましたが。。)
それでも入った会社は、絵に描いたようなブラック企業でした。
定時なんて存在しないような毎日。
「夜8時に帰れたら早いよね」という空気が充満するオフィス。
アメリカ帰りの僕には、精神的にも肉体的にも耐え難い環境でした。
「え?これって日本の普通なのかな?」
なんども自分に問いますが、AIもない時代でSNSには上げられない。
そんな時代でした。
給料は毎月入ってきます。生活は安定しました。
でも、代わりに「時間」と「心」が削り取られていく。
「朝を迎えたくない」という恐怖
毎朝、目が覚めるたびに思っていました。
「今日も、行かなければいけない」
それだけで、布団から出られない朝がありました。
電車に乗り込み、スマホをぼんやりと眺める。でも何も頭に入ってきません。
ただ、終点まで乗り続けて、そのままどこかへ消えてしまいたいと、そう思っていました。
職場には、自分を中心に世界が回っていると信じて疑わない人間たちがいました。何かあれば他人のせい。攻撃は、いつも突然やってきます。
精神科に通うことを、真剣に考えた時期がありました。
「適応障害」。その言葉が、頭の中で何度も浮かんでは消えました。
でも、あるブログで読んだ一行が、僕の背中を押さえつけました。
「精神疾患の診断が下ると、住宅ローンが組めなくなる可能性がある」
家族のために家を買わなければ。その一心で、診断を受けることを踏みとどまりました。
今思えば、何とも皮肉な話です。
家族を守るために、自分を壊しかけていたんですから。
人生を変えた「絶望」の夜
ある日の夜、僕は一人残業していました。
ふと時計を見ると、時刻は11時45分。
終電ギリギリの時間です。
窓の外に広がる都会の暗闇を見つめながら、強烈な虚無感が襲ってきました。
「朝、走って会社に来て、帰りも走るのか?」 「自分の人生、本当にこれでいいの?」 「あのアメリカでの失敗から、自分は何を学んだんだろう?」
その瞬間、僕の中で何かがプツンと切れました。
「もう、こんな働き方は限界」
この絶望こそが、僕の人生における転換点でした。
どん底まで落ちたからこそ、「変わるしかない」と腹を括れたんです。
戦略的転職へのシフト
そこからの僕は、必死でした。
最初は「逃げの転職」でした。でも、2回、3回と転職を繰り返すうちに、少しずつ 「戦略」 が芽生え始めました。
「ただ会社を変えるだけじゃダメだ。自分の時間を確保できる環境を選ばないと」
失敗を繰り返す中で、僕は学習し始めました。
そして4回目、5回目の転職で、ついに「副業にフルコミットできるホワイト企業」への転職に成功します。
(この時の戦略的思考の答え合わせになったのが、後に読む本多静六さんの『私の財産告白』や、motoさんの『転職と副業のかけ算』などの書籍でした)
環境は整いました。
ようやく人生の主導権を取り戻した。そんな手応えがありました。
ただ、、、ここからすぐに成功…とはいきません。
ここからさらに、「ノウハウコレクター」としての泥沼の迷走が始まるんです。
泥沼の副業迷子とノウハウコレクター
自己流の限界
ホワイト企業への転職で「時間」は確保できました。
「よし、今度こそ自分のビジネスを作るぞ」
そう意気込んで始めたのが、ブログでした。 しかし、書く前の設定で数ヶ月かかってしまうこともありました。
さらには、書いても書いても、納得する形でかけず、その上、公開してもアクセスはゼロ。誰にも読まれない完全な個人プレイでした。
収益なんて夢のまた夢のような状況でした。
「ブログがダメならプログラミングだ」
アプリ開発を同僚と一緒に2年間かけて、
挑戦しては、挫折しての繰り返し。
結局、世にアウトプットするまでに至りませんでした。
(今でも同僚とは付き合いがあり、笑い話のネタになっていますw)
やることなすこと、すべてが裏目に出る。
典型的な「ノウハウコレクター」であり、「副業迷子」でした。
家族からの信頼も揺らぎ始めます。
「いつになったら上手くいくの?」 「家族のことももっと手伝ってほしい…」
という視線に、自己肯定感は下がるばかりでした。
深夜1時の誓い
それでも夜になれば、僕はパソコンの前に座りました。
妻と娘が眠りにつく時間を待って。静かになった部屋に、そっとノートパソコンを開きます。
娘は、4歳でした。
薄暗い部屋に、画面の光だけが白く浮かぶ。その光の横で、小さな寝息が聞こえていました。
僕はブログを書いていました。
いや、書こうとしていました。
でも画面に映っているのは、誰にも読まれていない書きかけの記事と、収益「0円」の管理画面だけでした。
3年ほど。やったりやらなかったりしながら、深夜1時まで。
それだけやっても、0円は0円のままでした。
ふと、画面から目を離しました。
隣で眠る娘の顔が、画面の光に照らされていました。
3歳の小さな顔。すやすやと、何も知らずに眠っています。
(この子は、こんな父親を持って、どう思うだろう。)
声にならない言葉が、喉の奥で詰まりました。
涙が、静かにこぼれました。
でも同時に、奥歯を噛みました。
「絶対に支えるから。もう少し頑張るね」
眠っている娘に、届かない言葉を贈りました。
この言葉を証明するために。僕はまた、画面に向き直りました。
そして、100万円が消えた夜
そんな日々の中で、さらに追い打ちをかける出来事が起きました。
「じゃあ投資だ。仮想通貨が熱いらしい」
何も考えずに飛びつき、あっという間に100万円を溶かしました。
妻に打ち明けた時のことは、今でも鮮明に覚えています。
最初、妻の顔に浮かんだのは「怒り」でした。
でも、その怒りは、ゆっくりと「悲しみ」に変わっていきました。
目が、うるっとなりました。
責められるより、悲しまれる方が、何倍も胸に刺さります。
「もうダメかもしれない」
人生で初めて、本当の意味で、そう思いました。
でも、この絶望の底で、何かが静かに決まっていきました。
もう自己流はやめる。もう一人でやろうとするのはやめる。 素直に、謙虚に、成功している人から学ぶ。それだけに集中する。
あの深夜1時の誓いを、絶対に果たすために。
「TTP(徹底的にパクる)」の衝撃
なぜ、僕はこんなにも失敗し続けるのか。 ある日の帰り道、歩きながら自問自答しました。
そこで辿り着いた答えはシンプルでした。
「全部、自己流でやっているからだ」
アメリカでの起業も、ブログも、投資も。 誰かの成功法則を素直に学ぶことなく、「自分ならできる」という変なプライドで突っ走っていたんです。
その時、頭の中でぱっと一つの言葉が浮かびました。
「素直に、謙虚に、成功者から学ぶ」
ビジネスの世界でよく言われる「TTP(徹底的にパクる)」という概念。 これが、僕には欠けていたんです。
「自分の頭で考えるな。すでに成功している人の思考をインストールしろ」
これが、後の僕の快進撃を支えることになりました。
Twitter(X)という革命装置
140文字の再挑戦
成功者の真似をする。
そう決めてリサーチをする中で、ある事実に気づきました。
「ブログで成果を出している人は、みんな何故かSNSをやっている」
当時の僕は、ブログがあまりにも上手くいかないし継続できないので、
Twitter(現X)を始めてみた状況でした。
正直、最初は半信半疑でした。
SNSの印象もあまりよくなかったですし、
「自分なんかに発信することなんて何もない」と思っていたからです。
でも、やってみると違いました。
ブログ記事を1本書くのは重労働ですが、140文字なら隙間時間で発信できる。
「これなら続けられるかも」
そう思って続けてみることにしたんです。
プロセスエコノミーの発見
さらに、ある重要な発見がありました。 それは 「プロセスエコノミー」 の価値です。
僕は今まで、「何者かになってから発信しなければならない」と思っていました。
成功した結果だけを見せなければならない、と。
でも、Twitterの世界は違いました。
完璧な成功者よりも、「今まさに挑戦している人」「泥臭く足掻いている人」の過程(プロセス)にこそ、共感が集まるんです。
「今日はブログを1記事書きました」 「証券口座の開設で手こずっています」
そんな等身大の発信に、「頑張ってください!」「僕も同じです!」と反応が返ってくる。
孤独だった作業が、仲間との交流に変わりました。
この「共感」と「応援」が、僕を次の一歩へ押し出してくれました。
2年間の沈黙を破った238円
そして、ついに「その時」が訪れました。
Twitterを始めて、他のブロガーさんの動きを観察していると、あることに気づきました。 「みんな、収益記事(キラーページ)を直接ポストに貼っている?」
当時の僕は、「ブログは検索エンジン(SEO)から読まれるもの」と思い込んでいました。
でも、試してみるもので、
「どうせ誰もみないだろう」とダメ元で、自分が書いたアフィリエイト記事のリンクを、Twitterの投稿に貼り付けてみました。
すると、、、
スマホの管理画面に、見慣れない数字が表示されました。
「発生報酬:238円」
目を疑いました。 これまで約2年間、どれだけ記事を書いても、どれだけデザインをいじっても、 常に「0円」だった僕のブログの報酬。
それが、Twitterと掛け合わせた途端、初めての収益を生んだんです。
たった238円です。缶コーヒー2本分です。
でも、僕にとっては「0」が「1」になった、革命的な瞬間でした。
「成功事例を真似するだけで、こんなに結果が変わるのか」
この小さな成功体験が、僕のビジネスに対する視野を一気に広げてくれました。
初めての「自社商品」がもたらした自由への切符
アフィリエイトからの脱却
Twitterとの掛け合わせで「0→1」を達成した僕は、その後も順調にアフィリエイト収益を伸ばしていきました。
月に数千円、数万円…。 そこからさらに加速し、1年ほど経つ頃には、月収50万円、多い月には100万円を超えることもありました。
副業としては十分すぎる成果です。 普通なら、手放しで喜ぶべき状況でしょう。
しかし、僕の心には常に「ある不安」が付きまとっていました。
「これ、本当にこのままでいいのか?」
売上が上がれば上がるほど、その不安は大きくなっていきました。 なぜなら、僕がやっていたのは、結局のところ「労働集約型」と同じだったからです。
記事を書き続けなければ、ツイートし続けなければ、収益は止まる。
頑張れば稼げるけれど、頑張るのを止めた瞬間に「0」に戻る恐怖。
実際、少し手を緩めると、売上は露骨に落ちていきました。
それに加えて、 「これは他人の商品を売っているだけだ」 「いつか広告が停止されたら終わりだ」 という、プラットフォーム依存への根本的な恐れ。
ビジネスの主導権を握るには、「自分の商品」 を持ち、自分が動かなくても回る「仕組み」を作らなければならない。
そうあらためて痛感し、僕は初めて有料noteを書くことにしました。
「自分に売れるものなんてあるのか?」 「ただのTwitter運用体験談にお金を払う人なんているのか?」
そう半信半疑になりながらも、
内容は、これまで自分が実践してきたTwitter運用のノウハウにしました。
金額は数千円。
決して高いものではありません。
寝ている間に売れた衝撃
リリース前夜、僕はドキドキしながら眠りにつきました。 「本当に売れるんだろうか…?」 期待と不安が入り混じる中、布団に入ったのを覚えています。
そしてリリース。
画面には、見慣れない通知が並んでいました。
「noteが購入されました」 「noteが購入されました」
「え…、売れてる…!」
それは、寝てる間も続き、
寝ぼけ眼が一気に覚めました。
僕が寝ている間に、僕の書いた記事が、
誰かの役に立ち、合計で10万円ほどの対価を得ていたんです。
金額にすれば、一冊の金額は数千円かもしれません。
でも、その意味は金額以上に巨大でした。
「自分の作ったものが、自分のいないところで売れた」
この体験こそが、僕が求めていた 「仕組み」の原型でした。
労働集約型のコンサルでもなく、他人に依存するアフィリエイトでもない。 プラットフォームの機嫌や、アプリの不具合に怯えることもない。
自分のデジタル資産が、24時間365日、僕の代わりに働いてくれる。
「これだ。これがずっと欲しかった『自分だけの自動販売機』だ」
ストンと、腹の底に落ちる感覚がありました。
この体験が、僕をコンテンツビジネスの世界へ引き込む、決定的な一歩でした。
音声配信300日の奇跡 —— 「信頼」という見えない資産
テキストの限界、声の可能性
noteで小さな成功を収めた僕は、次なる一手を模索しました。
そこで目をつけたのが「音声配信」です。
「少しでもフォロワーさんの中に声で発信を聞きたい層がいるはず」
「移動中や家事中に『ながら聴き』する層がいるはず」
そのように、いくつか仮説を立てて始めましたが、最初は誰も聴いてくれません。
それでも毎日、
どんなに疲れてても、風邪を引いた日でも、夜0時を超えようとも
音声配信を作り、配信を続けました。
そして、気づけば300日を超えていました。
信頼残高の蓄積
この継続が、予想外の効果を生みました。
テキストだけでは伝わらない僕の「人柄」「空気感」「熱量」が、声を通してリスナーに伝わっていたんです。
オフ会に参加した時、驚くべきことが起きました。
「いつも聴いてます! マスさんですよね?」 「声ですぐ分かりました! ファンなんです!」
初対面なのに、まるで旧知の友人のように話しかけられる。
キラキラした瞳で見つめてもらいながら、
「あの時伝えていただいたおかげで、希望が持てました」 「投資を始めることができました」 「おかげで副業と資産形成をはじめました」
そんな言葉を次々にいただいたんです。
Twitterの文字だけのコメントではなく、リアルな肉声で感謝を伝えられる体験。
「ファン化って、こういうことなんだ」
自分が誰かの人生に貢献できているんだと、不思議な、でも温かい気持ちで胸がいっぱいになったのを覚えています。
これが 「信頼構築」 です。
上手いことを言う必要はありません。
「何かで貢献し続けること」 「声を届け続けること」が、
強固な信頼関係を築いてくれたんです。
この「話す力」と「信頼」が、後の講座ビジネスの大きな礎となりました。
コンテンツビジネスへの集約 —— そして「革命」へ
労働集約からの完全な脱却
SNS運用、ブログ、note、音声配信。 手数は増えましたが、僕はふと立ち止まりました。
「あれ? これまた忙しくなってない?」
そう、僕は再び「労働集約」の罠にハマりかけていたんです。
SNSの更新に追われ、本来の目的である「自由」が遠のいていく。
そこで僕は決断しました。
SNS運用やブログ、note、音声配信。 これらを生成AIなどを活用して半自動化し、浮いた時間をすべて注ぎ込んで、
「すべての経験を体系化し、一つの大きな講座(コンテンツビジネス)に集約しよう」
フロー型のSNSではなく、ストック型の「仕組み」を作る。 自分の知識と経験をパッケージ化し、それを必要とする人に届け、貢献する。
「集客→信頼構築→販売」の導線を一本化する。
そして何より、僕が2年近くかけて泥臭く学んできた「コンテンツビジネスのすべて」。 自己分析やコンセプト設計といった上流設計から、 集客・教育・販売までをつなぐマーケティングの流れまで。
これらを、僕の情報を追いかけてくれている人に、再現性の高い形で伝えていこうと決めました。
僕みたいな凡人でもできたんです。 その過程をひとつひとつ共有し、教えていくことで、同じように悩んでいる人の人生が変わるかもしれない。
その人が豊かになれば、巡り巡って僕の人生も豊かになる。
それこそが、本当の意味での「資産」になるはずだ。
これが、僕が辿り着いた 「本質」 でした。
「自分だけの秘密基地」を持つということ
準備には約1年ほどがかかりました。 この講座をリリースするまでに100万円以上の投資もしました。
でも、ローンチした瞬間、景色が変わりました。
本業を大きく超える収益。
そして何より、 「マスさんの講座で人生が変わりました」という 受講生からの感謝の声。
アフィリエイトで他人の商品を売っていた時には味わえなかった、
「自分だけの秘密基地」 を持つ充実感。
そしてもう一つ、大きな変化がありました。 それは、「学びの質」が劇的に変わったことです。
自分の商品を持つということは、すべての責任を自分で負うということです。 だからこそ、マーケティングも、ライティングも、顧客対応も、以前とは比べ物にならないほどの熱量で学ぶようになりました。
「自分の秘密基地を守り、育てたい」 その想いが、僕を一気にレベルアップさせてくれたんです。
そして、自分が寝ている間も、遊んでいる間も、 講座動画が受講生の学びを支えてくれるという「仕組み」の強さ。
ズタボロだった僕が、ついに「革命」を起こした瞬間でした。
エピローグ:あの夜の娘へ
長くなりましたが、これが僕の「革命」の全記録です。
あの深夜1時に、薄暗い部屋でブログを書いていた娘は、今年12歳になります。
あの夜のことを、彼女はきっと知りません。
パソコンの画面の光が、すやすや眠る3歳の顔を照らしていたこと。
収益がずっと0円のまま、それでも父親が泣きながらキーボードを叩いていたこと。
「絶対に支えるから。もう少し頑張るね」と、声にならない言葉を贈っていたこと。
彼女はきっと、何も知りません。
でも今、こうして「遊ぶように働く」日々を送れているのは、間違いなく、あの夜の誓いがあったからだと思っています。
振り返ってみて、あの頃の自分に一言かけるとしたら。
「あなたは間違ってない。」
それだけです。
朝、会社に向かう電車の中で消えてしまいたいと思っていたあなた。
深夜に泣きながら0円の画面を見つめていたあなた。
妻の悲しそうな目を見て「もうダメかもしれない」と思ったあなた。
方向性は間違ってない。素直に謙虚に学んで、積み上げ続ければ、必ず光が見えてくる。
大丈夫。あなたならやれる。
そして今、この記事を読んでくれているあなたへ。
もしあなたが今、副業で成果が出ずに悩んでいるなら。「頑張っているのに報われない」と感じているなら。
その苦しさは、あなただけのものじゃありません。
僕も同じ場所にいました。同じように、誰にも言えない夜がありました。
ただ、一つだけ言えることがあります。
あなたの積み上げは、必ず誰かの未来を変える資産になります。
失敗だらけだった僕にもできました。
あなたにできないはずがありません。
ぜひ今日から、あなたの人生に革命を起こす「仕組みづくり」を始めてください。
そして、僕の「仕組み作り」の冒険も、ここでは終わりません。
これからは、AIをフル活用した「次世代の自動化」に、リアルタイムで挑戦していきます。
その試行錯誤のプロセス、成功も、失敗も、泥臭い実験のすべてを、これからも包み隠さず発信し続けます。
さあ、一緒に走り続けましょう。
今よりもっと飛躍した自分ストーリーのエンディングにしていきましょう。
あなたの隣には、いつも応援してる僕がいます。
次はあなたの番です。